私の長年の念願でありました「天草更紗」復興に挑戦する今日この頃です。
挑戦というと大袈裟な感じですが、正に私の今の気持ちです。
天草更紗の歴史
「天草更紗」は、今から約180年前、江戸時代文政年間(1818~30)に天草の紺屋の人(森伊右衛門、金子為作など)が長崎で更紗の技法を学んできて、天草でつくられるようになったと伝えられています。
60年くらい続きましたが明治初期には途絶えてしまったようです。
大正期も終わりの頃、天草の中村初義という方が天草更紗の復興を目指していろいろ努力をされ、ついに復興を果たされました。
ネクタイなど土産品は評判も良く50年近く続きましたが、やがて途絶えてしまいました。
私が天草更紗の仕事を見ていたころというのはその末期にあたっていたのではないでしょうか。
むかしの天草更紗
江戸期の「天草更紗」は当初はともかく、寛政の改革時に出された奢侈禁止令が強化された時期にもあたり、色・柄が制約されて地味なものになりました。
今に残っている裂地も、褐色がかった小さな柄模様のものが多く見られます。
用途も貴族・武家などいわゆる上流階級に使われるようなものでなく、日常使用する風呂敷・袋物や布団地・夜着などであったようです。
生地は木綿、技法は型染、染料は自然の植物染料などでした。
天草更紗復興への思い
「天草更紗」を伝統的工芸品として復興を考えるならば、昔のものをできるだけ忠実に再現しなければなりません。
「ものつくり」の観点からはできるだけ技法を継承していく必要があります。
しかしそれと同時に、多くの人に手にとってもらうようなものでなければ意味がありません。
私としては、型友禅染の技法で、柄模様は昔のものを参考に、しかし私のモチーフをつくりながら、「高津明美の天草更紗」を実現していきたいと思っています。
染料は現実問題として化学染料に頼らざるを得ません。生地も木綿のほか絹などいろいろ取り入れてみるつもりです。
もう一つ大切なことは、「天草更紗」を次の世代に継承していくことです。
できるだけ早く「天草更紗」基盤を確立し、教室などで多くの人に知ってもらうとともに、後継者の育成にも取り組みたいと思っています。
天草更紗AKEMI
伝統工芸品を守るという立場からは、必ずしも江戸期の「天草更紗」に忠実でない私のやり方にご批判もあるかもわかりません。
しかし、伝統や文化というものも時代に合わせて変わっていかなければ生き延びていけない一面があるのも現実でしょう。
私の工房に天草更紗を染める型板(16メートル)を置くことができ、着物が1枚の板でできるようになりました。
京都の先生の工房にご指導を賜り、この3年間毎月通い続け、とても大変でしたが天草更紗の着物が染めることができる夢が現実となりました。